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2019.06.28

中野セントラルパークや周辺の歴史を紐解く(その1)

今年、JR中野駅は今年4月11日に開業130周年を迎えました。1889(明治22)年4月11日に甲武鉄道(後の中央線)新宿~立川間が開業して、それと同時に中野駅の利用が始まったので、中央線開業と合わせて駅も130周年となりました。   〇中野駅130周年の横断幕(130周年当日の2019年4月11日撮影)   そんな中野駅ですが、開業時には今の場所よりもっと西側、中野セントラルパークの南側に位置していたことをご存知でしょうか?2012年10月5日に開業した中野セントラルパークや開園した中野四季の森公園あたりの広大な土地は、幕府や国家の持ち物で、住民には閉ざされたエリアでした。ということで、今回は中野セントラルパークやその周辺の歴史を紐解きます!   〇現在の中野セントラルパーク   1603(慶長8)年、初代将軍・徳川家康公が江戸幕府を開き、中野郷は中野・本郷・本郷新田・雑色・江古田・片山・上高田・新井・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の村に分けられました。中野セントラルパーク周辺は中野村の最西端に位置し、この時から旗本などが住む幕府の直轄領となりました。ちなみに現在の中野エリア(旧中野村)の商業の中心地、一番賑わっているところは青梅街道「中野宿」のあった中野坂上付近、現在の宝仙寺三重塔のあるあたりでした。   〇江戸時代の中心地は青梅街道の宝仙寺付近「中野宿」   そして時代は江戸時代中期。1687(貞享4)年に5代将軍・徳川綱吉公が発令した動物愛護のための「生類憐みの令」によって設けられた犬の「お囲い」、犬の保護施設として中野駅周辺に約30万坪の規模で作られました。現在の中野1丁目から6丁目あたりの広大なエリアが幕府の施設になり、中野セントラルパークの建つエリアも旧町名は「囲町」と言われていました。   〇中野区役所前にある犬の銅像   この施設には犬小屋や餌場、子犬養育場などの建物があり、現在残っている細い周辺道路のほとんどは犬やエサを運ぶ通路だったと言われています。この時から現在の中野4丁目エリアは中野セントラルパークがオープンするまで住民がタッチすることのできない閉じた土地となりました。   〇「お囲い」の場所   そして将軍・綱吉公の死後この「生類憐みの令」は廃令となり、この広大な「お囲い」のうち中野セントラルパークの線路を挟んだ南側に位置する「五のお囲い」(現在の中野3丁目あたり)エリアは、8代将軍・徳川吉宗公によって「桃園」に生まれ変わることになります。鷹狩りに来た吉宗公がこの場所を気に入り、桃の木を植えよと命じたことで、広大な「桃園」ができたと言われていて、この「桃園」は後に庶民に解放され、現在の花見の先駆けとなりました。   〇桃園絵図   江戸幕府が終わり、明治時代となって、中野セントラルパークが位置する「囲町」周辺は明治政府が管理するエリアとなりました。前出の通り1889(明治22)年に甲武鉄道が開業し、当時中野セントラルパークの真南にあった中野駅からは、この「囲町」エリアに線路の支線が引かれたそうです。線路の引き込みは、陸軍の施設を作るための資材を運ぶためのものだったと伝わっていますが、陸軍以降の歴史につきましては、また次の機会に。   〇昭和初期の中野駅周辺地図   政府や幕府直轄地だったこのエリアは、300年以上もの時間を経て、やっと住民に開放された場所となりました。ファミリーやオフィスワーカー、たくさんのイベントも開催されて、多くの人たちでにぎわう中野駅周辺の新名物となったことは言うまでもありませんね!   ※リンク   中野区役所(歴史民俗資料館長が語る なかの物語) https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d020159.html   まるっと中野(中野の犬屋敷) https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/attractions/nintei/272/   ウィキペディア(中野四季の都市) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82